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横浜地方裁判所 昭和53年(行ウ)6号 判決

横浜市鶴見区下末吉三丁目八番三三号

原告

横山哲夫

同所五丁目一〇番六号

原告

亡横山元昭訴訟承継人

横山勝子

同所同番地

原告

亡横山元昭訴訟承継人

横山敬一

同所同番地

原告

亡横山元昭訴訟承継人

横山祥子

同所三丁目八番三三号

原告

横山悦朗

同所四丁目二六番一号

原告

横山てる

右原告六名訴訟代理人弁護士

塩田省吾

佐藤泰正

横浜市鶴見区鶴見中央三丁目四番二一号

被告

鶴見税務署長

藤田清次

右指定代理人

杉山正己

小林康行

篠田学

高橋一雄

山口新平

鈴木正孝

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告がした左の各処分をいずれも取り消す。

(一) 原告横山哲夫(以下「原告哲夫」という)。に対し昭和四八年一二月二六日付けでした昭和四六年分贈与税の更正のうち課税価格一八五万円を超える部分及び無申告加算税の賦課決定(但し、いずれも異議決定により一部取り消された後のもの)

(二) 承継前原告横山元昭(以下「元昭」という。)に対し、

(1) 昭和四八年一二月二六日付けでした昭和四六年分贈与税の更正のうち課税価格五四万五二五〇円を超える部分及び無申告加算税の賦課決定(但し、いずれも異議決定により一部取り消された後のもの)

(2) 昭和五〇年六月二四日付けでした昭和四七年分贈与税の決定のうち課税価格三〇〇万円を超える部分及び無申告加算税の賦課決定

(三) 原告横山悦朗(以下「原告悦朗」という。)に対し、

(1) 昭和四八年一二月二六日付けでした昭和四六年分贈与税の更正のうち課税価格五四万五二五〇円を超える部分及び無申告加算税の賦課決定(但し、いずれも異議決定により一部取り消された後のもの)

(2) 昭和五〇年六月二四日付けでした昭和四七年分贈与税の決定及び無申告加算税の賦課決定

(四) 原告横山てる(以下「原告てる」という。)に対し、昭和四八年一二月二六日付けでした昭和四六年分贈与税の更正のうち課税価格五四万五二五〇円を超える部分及び無申告加算税の賦課決定(但し、いずれも異議決定により一部取り消された後のもの)

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告哲夫、元昭、原告悦朗及び同てる(以下、これら四名を「原告ら」ということがある。)は、いずれも横山四朗(以下「四朗」という。)の子であるところ、元昭は昭和六〇年四月二〇日死亡し、原告横山勝子、同横山敬一及び同横山祥子が相続により元昭の権利義務を承継した。

2  原告哲夫に対する昭和四六年分贈与税の更正処分

原告哲夫の昭和四六年分贈与税の課税の経緯は別表一(一)(1)記載のとおりである。

被告は別表一(一)(1)の「更正」欄記載のとおり昭和四八年一二月二六日付けで更正及び無申告加算税賦課決定処分をしたが、右処分(但し、異議決定により一部取り消された後のもの)は、昭和四六年中に申告に係る受贈額五四万五二五〇円を含む合計六七二万八七八九円について、横山企業有限会社(以下「横山企業」という。)に対する増資払込金等として同原告が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

3  元昭に対する贈与税の課税処分

(一) 昭和四六年分

元昭の昭和四六年分贈与税の課税の経緯は別表一(一)(二)記載のとおりである。

被告は別表一(一)(二)の「更正」欄記載のとおり昭和四八年一二月二六日付けで更正及び無申告加算税賦課決定処分をしたが、右処分(但し、異議決定により一部取り消された後のもの)は、昭和四六年中に申告に係る受贈額五四万五二五〇円を含む合計二二〇万〇四七五円について、同人が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

(二) 昭和四七年分

元昭の昭和四七年分贈与税の課税の経緯は別表一(2)(1)記載のとおりである。

被告は、別表一(2)(1)の「決定」欄記載のとおり昭和五〇年六月二四日本税及び加算税の決定処分をしたが、右決定処分は、元昭が昭和四七年五月二〇日横山商事有限会社(以下「横山商事」という。)に増資払込金として出資した六〇〇万円及び同年一一月二七日横山殖産有限会社(以下「横山殖産」という。)に設立出資金として出資した三〇〇万円の合計九〇〇万円のうちの七〇八万九五六八円について、同人が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

4  原告悦朗に対する贈与税の課税処分

(一) 昭和四六年分

原告悦朗の昭和四六年分贈与税の課税の経緯は別表一(一)(3)記載のとおりである。

被告は別表一(一)(3)の「更正」欄記載のとおり昭和四八年一二月二六日付けで更正及び無申告加算税賦課決定処分をしたが、右処分(但し、異議決定により一部取り消された後のもの)は、昭和四六年中に申告に係る受贈額五四万五二五〇円を含む合計二九一万二三三四円について、同原告が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

(二) 昭和四七年分

原告悦朗の昭和四七年分贈与税の課税の経緯は別表一(二)(2)記載のとおりである。

被告は別表一(二)(2)の「決定」欄記載のとおり昭和五〇年六月二四日付けで本税及び加算税の決定処分をしたが、右決定処分は、原告悦朗が昭和四七年五月二〇日横山商事に増資払込金として出資した七〇〇万円及び横山殖産に設立出資資金として出資した一〇〇万円の合計八〇〇万円のうちの六二三万六三六七円について、同原告が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

5  原告てるに対する昭和四六年分贈与税の更正処分

原告てるの昭和四六年分贈与税の課税の経緯は別表一(一)(4)記載のとおりである。

被告は別表一(一)(4)の「更正」欄記載のとおり昭和四八年一二月二六日付けで更正及び無申告加算税賦課決定処分をしたが、右処分(但し、異議決定により一部取り消された後のもの)は、昭和四六年中に申告に係る五四万五二五〇円を含む合計二一八万五五四一円について、同原告が四朗から贈与を受けたとするものであつた。

6  違法事由

しかしながら、原告らは、昭和四六年において、原告哲夫が一八五万円を、元昭、原告悦朗及び同てるが各五四万五二五〇円を、昭和四七年において、元昭が三〇〇万円をそれぞれ四朗から贈与されたことがあるだけで、それを超える贈与まを受けていないから、被告のした本件各処分は贈与の事実を誤つて認定した違法がある。

7  結語

よつて、本件各処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1ないし5の各事実は認め、同6の事実は否認する。

三  被告の主張

1  会社の設立及び増資に係る出資払込金の贈与

(一) 原告らは、いずれも横浜市鶴見区下末吉三-八-三三に所在する横山企業、横山商事及び横山殖産の三社(以下、これら三社を併せて「原告関連会社」という。)の出資者となつているが、原告関連会社の昭和四六年、四七年における設立、増資の状況、出資者及び出資払込金額等の内容は、別表二記載のとおりであり、右出資払込金額の入金状況は、別表三記載のとおりである。

(二) 別表二、三から明らかなとおり、原告関連会社の昭和四六年、四七年中における設立及び増資に係る出資払込金の合計額は七〇〇〇万円であり、そのうち横山企業による出資払込金額五〇〇万円を除く六五〇〇万円は原告らを含む個人六名(これらの者はいずれも親族である。)が出資したものであるところ、この出資払込金の支払方法は別表四記載のとおりであつて、原告哲夫の普通預金から引き出された二〇〇万円を除いた六三〇〇万円はいずれも四朗の銀行預金ないしは同人所有の現金から支払われたものである。

(三) 以上のとおり、横山一族の原告関連会社に対する昭和四六年、四七年中の出資払込金の合計額六五〇〇万円のうち原告哲夫の銀行預金からの引出額二〇〇万円及び四朗個人の出資額八八〇万円を除いた五四二〇万円は、四朗の資金を用いて原告ら及び横山リンが別表二記載のとおり出資したものであるから、四朗は、原告ら及び横山リンに対し別表二記載の同人らの出資相当額を贈与したものである。

2  所得税納付額の贈与

四朗は、別表五(一)、(二)の「納付年月日」欄記載の年月日に同人の横浜銀行鶴見西口支店の普通預金口座から別表五(一)、(二)記載の原告ら各人の昭和四五年分所得税及び昭和四六年分所得税予定納税額並びに原告悦朗及び元昭の昭和四六年分所得税及び昭和四七年分所得税予定納税額をそれぞれ納付し、もつて、右納付税相当額の金員を原告らにそれぞれ贈与した。

3  本件各贈与税の課税価格

原告らの右受贈等に基づく贈与税の課税価格(贈与財産価額)は、昭和四六年分が別表六(一)、昭和四七年分が別表六(二)に各記載のとおりであり、その内訳ないし計算根拠は次の(一)以下のとおりである。

なお、原告らは三年以内の各年において同一の者から贈与により右財産を取得したものであるから、相続税法(昭和五〇年法律第一五号による改正前のもの。いわゆる累積課税)二一条の七の規定に基づいて課税される。また、別表六(一)の「〈3〉「横山企業の出資口数」欄の記載は、四朗が横山企業に対して出資していた一口三六三五円の出資口数を原告ら各人に一五〇口・五四万五二五〇円ずつ贈与したことによるものであるが、これは、原告らの申告に係るものである。

贈与財産価額の内訳は次のとおりである。

(一) 昭和四六年分

(1) 原告哲夫の分 一一九四万八五五〇円

原告哲夫は、別表二記載のとおり昭和四六年中に横山企業に対し、九三五万円、横山商事に対し一〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(一)記載のとおり同年中に所得税一〇五万三三〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の別段預金、定期預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、原告哲夫は四朗から右出資金及び納付税金に相当する金員の贈与を受けたことになり、これと申告に係る受贈額五四万五二五〇円を合算した一一九四万八五五〇円が贈与財産価額となる。

(2) 元昭の分 五〇五万一五五〇円

元昭は、別表二記載のとおり昭和四六年中に横山企業に対し、二一五万円、横山商事に対し、二〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(一)記載のとおり同年中に所得税三五万六三〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の別段預金、定期預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行鶴見西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、元昭は四朗から右出資金及び納付税金に相当する金員の贈与を受けたことになり、これと申告に係る受贈額五四万五二五〇円を合算した五〇五万一五五〇円が贈与財産価額となる。

(3) 原告悦朗の分 六五五万八六五〇円

原告悦朗は、別表二記載のとおり昭和四六年中に横山企業に対し二一五万円、横山商事に対し三〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(一)記載のとおり同年中に所得税八六万三四〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の別段預金、定期預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行鶴見西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、原告悦朗は四朗から右出資金及び納付税金に相当する金員の贈与をうけたことになり、これと申告に係る受贈額五四万五二五〇円を合算した六五五万八六五〇円が贈与財産価額となる。

(4) 原告てるの分 三五三万四〇五〇円

原告てるは、別表二記載のとおり昭和四六年中に横山企業に対し、一九五万円、横山商事に対し、一〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(一)記載のとおり同年中に所得税三万八八〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の別段預金、定期預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、原告てるは四朗から右出資金及び納付税金に相当する金員の贈与をうけたことになり、これと申告に係る受贈額五四万五二五〇円を合算した三五三万四〇五〇円が贈与財産価額となる。

(二) 昭和四七年分

(1) 元昭の分 九六四万一三〇〇円

元昭は、別表二記載のとおり昭和四七年中に横山商事に対し、六〇〇万円、横山殖産に対し三〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(二)記載のとおり同年中に所得税六四万一三〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の普通預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行鶴見西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、元昭は四朗から右出資金及び納付税金に相当する九六四万一三〇〇円の金員の贈与を受けたことになり、右金額が贈与財産価額となる。

(2) 原告悦朗の分 八三五万七九〇〇円

原告悦朗は、別表二記載のとおり昭和四七年中に横山商事に対し、七〇〇万円、横山殖産に対し一〇〇万円をそれぞれ出資し、また別表五(二)記載のとおり同年中に所得税三五万七九〇〇円を納付しているが、右出資金は前記1のとおり四朗が同人の第一勧業銀行鶴見支店の普通預金及び現金から支払つたものであり、右納付税金も前記2のとおり四朗が横浜銀行鶴見西口支店の普通預金口座から支払つたものである。

したがつて、原告悦朗は四朗から右出資金及び納付税金に相当する八三五万七九〇〇円の金員の贈与を受けたことになり、右金額が贈与財産価額となる。

4  本件各贈与税の課税処分の適法性

本件各贈与税の課税処分における課税価格は、別表一(一)の「更正」欄(但し、異議決定により一部取り消された分については「同右決定」欄)又は別表一(二)の「決定」欄の贈与財産価額に記載のとおりであり、これらはいずれも右3の価額(別表六参照)の範囲内であるから、本件各贈与税の課税処分は適法である。

5  無申告加算税賦課決定処分の適法性

(一) 昭和四六年分について

原告らは期限後申告書提出後に更正処分を受けたので、被告は、昭和五九年法律第五号による改正前の国税通則法六六条一項二号の規定に基づき右各更正(但し、異議決定により一部取り消された後のもの)により納付すべき贈与税額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて、別表一(一)記載のとおり無申告加算税の賦課決定を行つたものである。

よつて、右無申告加算税賦課決定における税額は、前記4に基づいて算出される同税額の範囲内であり、右賦課決定は適法である。

(二) 昭和四七年分について

元昭及び原告悦朗はいずれも贈与税の申告をしていないので、被告は、国税通則法六六条一項一号の規定に基づき、右決定により納付すべき贈与税額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて、別表一(二)記載のとおり無申告加算税の賦課決定を行つたものである。

よつて、右賦課決定における無申告加算税額は、前記4に基づいて算出される同税額の範囲内であり、右賦課決定は適法である。

四  被告の主張に対する認否

1(一)  被告の主張1(一)の事実は認める。

(二)  同1(二)、(三)の事実中、原告関連会社の設立及び増資に係る出資払込金のうち六三〇〇万円が四朗所有の預金及び現金から支払われたことは否認し(原告ら所有に係る四朗名義の預金口座中の預金及び四朗の保管に係る原告ら所有の現金合計六三〇〇万円をもつて別表四記載のとおり出資金が支払われたものである。)、四朗が原告ら及び横山リンに対し、右出資払込金のうち五四二〇万円を贈与したことは争い、その余の事実は認める。

2  同2の事実中、原告らが、別表五(一)、(二)記載のとおり、所得税を納付したことは認め、その資金が四朗から贈与されたものであることは、否認する。

3(一)  同3の冒頭のうち、原告らが四朗から横山企業に対する出資金を五四万五二五〇円ずつ贈与され、その旨申告したことは認め、その余の主張の趣旨は争う。

(二)  同3(一)(1)の事実中、原告哲夫が昭和四六年中に横山企業に対し、九三五万円、横山商事に対し一〇〇万円を出資し、所得税一〇五万三三〇〇円を納付したことは認め、その余は否認する。(2)の事実中、元昭が昭和四六年中に横山企業に対し二一五万円、横山商事に対し二〇〇万円を出資し、所得税三五万六三〇〇円を納付したことは認め、その余は否認する。(3)の事実中、原告悦朗が昭和四六年中に横山企業に対し二一五万円、横山商事に対し三〇〇万円を出資し、所得税八六万三四〇〇円を納付したことは認め、その余は否認する。(4)の事実中、原告てるが昭和四六年中に横山企業に対し一九五万円、横山商事に対し、一〇〇万円を出資し、所得税三万八八〇〇円を納付したことは認め、その余は否認する。

(三)  同3(二)(1)の事実中、元昭が昭和四七年中に横山商事に対し、六〇〇万円、横山殖産に対し、三〇〇万円を出資し、所得税六四万一三〇〇円を納付したことは認め、その余は否認する。(2)の事実中、原告悦朗が昭和四七年中に横山商事に対し七〇〇万円、横山殖産に対し、一〇〇万円を出資し、所得税三五万七九〇〇円を納付したことは認め、その余の事実は否認する。

4  同4は争う。

5  同5は争う(但し、計算関係は認める。)。

五  被告の主張に対する原告らの反論

1(一)  被告は、本件課税の対象たる財産が四朗名義の預金口座及び現金から支出されているから贈与である旨主張する。しかし、預金口座には名義人の財産のみが預けられいてるものではなく、とりわけ我が国の家族社会においては、家長名義の預金口座にその家族の資産が預金されることがしばしば存するのである。被告の主張は、四朗(家長)名義の預金または同人所持の現金を同人のみの所有として扱うというものであつて失当である。

(二)  これを詳論すれば、次のとおりである。

(1) 四朗は、昭和一三年から昭和二二年まで横浜市会議員に、昭和三〇年から昭和五〇年まで神奈川県会議員の職にあつた地方政治家であり、その間一貫して自民党員であり、党県市連の重要な役職を歴任していた。

およそ、政治家、特に保守党政治家に金のかかることは顕著な事実であつて、選挙地盤の育成維持のためには、例えば新年会を始めとする各種会合、選挙民との旅行会、その他各種の交際費の支出など莫大な資金を要する。しかも、それらは、不時かつ緊急に支出されなければならないため、預金から引き出して支出することでは到底間に合わず、常に多額の現金を保有する必要に迫られ、また、政治家は金の出入りが明確になることを避ける傾向にあるので預金することは極くまれである。その結果、四朗の保有する現金は常に七、八百万円にも及んでいたのである。

そのため、四朗は、銀行を介在させなければならない取引、例えば、多額の金額の場合、銀行振込、小切手振込等による場合に限つて、預金していたのである。

(2) 原告らは、右のとおりの四朗の政治資金の必要と運用上、その家族として、その収入である地代や給料のすべてを四朗に渡していたが、それらは保管の都合上、四朗名義の預金として保管されたり、或いは現金として保管されていた。

そして、原告らは、一般の家族のように結婚するまでは四朗から生活上の面倒をみてもらつていた。

そのため、元昭、原告悦朗及び同てるには、最近まで同人ら名義の預金口座はなかつた。なお、原告哲夫は、別途第一勧業銀行の預金口座を設けていたが、それは振込、小切手支払等に利用されていたにとどまり、現金はすべて四朗の手もとに保管されていた。また、元昭、原告悦朗は、結婚後別居したので給料によつて世帯を維持していたが、原告哲夫は、四朗と同居していたので従来どおり財産を分離する生活形態ではなかつた。

(3) 以上のように、原告らの収入はすべて四朗の管理に任されていたが、給料収入はもちろん、地代収入も帳面に記載していたので、毎年きちんと所得税の申告をしてきた。そこで、原告らは、四朗に管理を任せていた財産のおよその累積金額を把握していたので、その累積金額の範囲において、四朗の管理していた預金または現金から原告関連会社への出資金や定期預金等に支出していたのである。(もつとも、原告らは、その都度厳密に計算して支出したわけではないため、累積金額以上の支出となつたので四朗から原告らへの贈与を一部認めて、本件訴えの一部を取り下げる仕儀となつた。)。

なお、所得税や贈与税は、その年の収入から優先して支出しているので、形式上四朗の預金から支出しているとしても、それは四朗が保管している原告らの資産から支出したものであり、後記の収支表からも、それらの税金を経費として控除したうえで収入を計算しているのである。

(4) よつて、原告らは、父である四朗に保管、管理を任せていた原告ら各人固有の財産から原告関連会社への出資金及び納税資金を捻出したのであつて、右資金が四朗名義の預金または同人の所持していた現金から支出されたからといつて、四朗から贈与されたものではない。

2  原告らは、昭和四三年から昭和四七年(原告哲夫に関しては昭和四一年から昭和四七年)までの間、四朗に対し原告ら固有の不動産収入及び給料収入の保管・管理を任せていたのであり、四朗から贈与を受けなくとも本件係争各年分における原告関連会社への出資金及び所得税納付金を支払えたことは次のとおりの収支状況から明らかである。

(一) 原告哲夫の収支について

原告哲夫が被告に提出した昭和四一年から昭和四七年までの間の所得税確定申告書によれば、同原告の右期間における収支は、別表七(一)記載のとおりである。なお、原告哲夫の昭和三八年から昭和四七年までの収支は別表七(三)記載のとおりである。

別表七(一)記載の「経費合計」の内訳は、別表七(二)記載のとおりである。このうち各年分の県市民税は、別表七(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの間の県市民税総額三四八万六三七二円が右期間中の所得税総額一〇八四万八七二七円(別表七(三)の「所得税」の「計」欄の八五〇万六九九七円に同「所得税」の「昭和四七年分」欄のカッコ内の二三四万一七四〇円を加算したもの)に対して約三〇パーセントの割合を占めることから、各年分の所得税に三〇パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。また、別表七(二)のうちの各年分の生活費は、別表七(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの間の生活費総額八六五万四二八六円が右期間中の経常収入総額五九〇二万五六九六円(別表七(三)の「不動産所得」、「給与所得」及び「配当所得」の各「計」欄の数額を合算したもの)に対して約一四・五パーセントの割合を占めることから、各年分の経常収入に一四・五パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。

そして、右のように収支明細を記載した別表七(一)によれば、原告哲夫は、昭和四六年については原告関連会社への出資分を含めて計算しても一八三万五七一五円の支出超過となるにすぎず、右超過分の限度では四朗から贈与を受けたものとみなされても止むを得ないが、右超過分を超えて四朗から贈与を受ける必要はなかつた。

(二) 元昭の収支について

元昭が被告に提出した昭和四三年から昭和四七年までの間の所得税確定申告書によれば、同人の右期間における収支は、別表八(一)記載のとおりである。なお、元昭の昭和三八年から昭和四七年までの収支は、別表八(三)記載のとおりである。

別表八(一)記載の「経費合計」の内訳は、別表八(二)記載のとおりである。このうち各年分の県市民税は、別表八(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの一〇年間の県市民税総額一四四万七六六八円に一〇分の九を乗じた一三〇万二九〇一円が昭和三九年から昭和四七年までの九年間の所得税総額四七〇万八七六六円(別表八(三)の「所得税」欄の昭和三九年まから昭和四七年分の金額-但し、昭和四三年分は二個の金額、昭和四七年分は括弧内の金額-を合算したもの)に対して約二七パーセントの割合を占めることとから、各年分の所得税に二七パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。また、別表八(二)のうちの各年分の生活費は、別表八(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの一〇年間の生活費総額二九八万四七六二円に一〇分の九を乗じた二六八万六二八五円が別表八(二)記載の昭和三九年から昭和四七年までの九年間の経常収入総額三二四七万一三一八円に対し、約八パーセントの割合を占めることから、各年分の経常収入に八パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。

そして、右のように収支明細を記載した別表八(一)によれば、元昭は、昭和四六年については累積所得八六四万九八四八円を有していたことになり、横山企業に対する出資等は可能であり、また、昭和四七年については累積所得六八八万一五二七円を有していたことになり、横山商事に対する出資等は可能であるから、右各年について四朗から贈与を受ける必要はなかつた。

(三) 原告悦朗の収支について

原告悦朗が被告に提出した昭和四三年から昭和四七年までの間の所得税確定申告書によれば、同原告の右期間における収支は、別表九(一)記載のとおりである。なお、原告悦朗の昭和三八年から昭和四七年までの収支は別表九(三)のとおりである。

別表九(一)記載の「経費合計」の内訳は、別表九(二)記載のとおりである。このうち各年分の県市民税は、別表九(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの間の県市民税総額一三三万六五五八円が右期間中の所得税総額四一四万九五〇三円(別表九(三)の「所得税」の「計」欄記載の三二二万二九九三円に同昭和四七年欄の括弧内の九二万六五一〇円を加算したもの)に対して約三〇パーセントの割合を占めることから、各年分の所得税に三〇パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。また、別表九(二)記載の各年分の生活費は、別表九(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの間の生活費総額三七八万七一三八円が右期間中の経常収入総額二八二八万四五八八円に対し、約一三・三パーセントの割合を占めることから、各年分の経常収入に一三・三パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。

そして、右のように収支明細を記載した別表九(一)によれば、原告悦朗は、昭和四六年については累積所得一一〇五万八六二六円を有することになり、横山企業に対する出資等は可能であり、また、昭和四七年については累積所得九六九万四一九五円を有することになり、横山商事に対する出資等は可能であるから、右各年について四朗から贈与を受ける必要はなかつた。

(四) 原告てるの収支について

原告てるが被告に提出した昭和四三年から昭和四七年までの間の所得税確定申告書によれば、同原告の右期間における収支は、別表一〇(一)記載のとおりである。なお、原告てるの昭和三八年から昭和四七年までの収支は別表一〇(三)記載のとおりである。

別表一〇(一)記載の「経費合計」の内訳は、別表一〇(二)記載のとおりである。このうち各年分の県市民税は、別表一〇(三)記載の昭和三八年から昭和四七年までの間の県市民税総額二〇万六二八四円が右期間中の所得税総額五五万三五八〇円(別表一〇(三)の「所得税」の「計」の四六万九七八〇円に同昭和四七年分の括弧内の八万三八〇〇円を加算したもの)に対して約三七パーセントの割合を占めることから、各年分の所得税に三七パーセントを乗じて得た金額(一円未満切り捨て)とした。また、各年分の生活費は、原告てるが主婦であり事実上扶養を受けているので計上しないことにした。

そして、右のように収支明細を記載した別表一〇(一)によれば、原告てるは、昭和四六年については原告関連会社への出資分を含めて計算しても三六万九五五六円の支出超過になるにすぎず、右超過分の限度では四朗から贈与を受けたものとみなされても止むを得ないが、右超過分を超えて四朗から贈与をうける必要はなかつた。

六  原告らの反論に対する被告の認否

1  原告らの反論1については争う。

原告らは、原告らの収入である地代や給料がすべて四朗の手許に集められて四朗名義の預金または現金として蓄積され、その中から原告らの出資金や定期預金等に支出されていたのであつて、四朗が右支出分を原告らに贈与したのではなかつた旨主張する。

しかし、原告らは、四朗に渡していたと主張する地代、給料等の金額を明らかにする資料を示さないばかりでなく、四朗名義の資産に対する原告ら各人の持分割合を具体的に明らかにせず、そのため原告ら各人が四朗名義の預金または現金として蓄積していたという金額も不明なのであつて、原告らが四朗にその収入の保管を任せていたとはいえないのである。

そして、〈1〉四朗は、昭和三八年から昭和四七年までの一〇年間において、同人所有の不動産の貸付けによる賃料・更新料或いは不動産の譲渡収入並びに神奈川県会議員としての議員報酬等により、総額約三億〇九八六万円の所得があり、その内訳は別表一一(一)、(二)記載(なお、昭和三九年分の不動産所得及び譲渡所得の各金額は、同人が従前、同人所有の横浜市鶴見区下末吉町旭台所在の約一万三六三二平方メートルの土地を日本鋼管株式会社に賃貸していた賃貸借契約の更新に伴う更新料の総額六〇〇〇万円に係るものである。)のとおりであつて、特に原告関連会社の設立・増資をした昭和四四年から昭和四七年当時までの間における不動産の譲渡による収入総額は、別表一一(二)記載のとおり約一億一八九四万円であるから、四朗には、原告らに対して贈与を行う資力が十分にあつたのであり、また、〈2〉原告関連会社の設立・増資の出資払込金に充てられた第一勧業銀行鶴見支店の別段預金及び普通預金並びに所得税の納付金に充てられた横浜銀行鶴見西口支店の普通預金の各口座は、いずれも四朗名義になつていて、しかも、右口座はいずれも四朗の不動産収入ないし不動産譲渡収入が入金の大部分を占めているのであり、さらに、〈3〉原告ら各人は四朗に対し、同人の管理する預金及び現金について、その持分等の主張、請求をしたことがないのはもちろん、右請求をする権利もないと認識し、四朗が同人の意思に基づいて自由に管理運用ないし費消してきたものである。

また、原告らは、原告らの収入を四朗に渡していたため、最近まで原告各人名義の預金口座を有しなかつた旨主張するが、しかし、原告哲夫には、昭和四一年二月八日に第一勧業銀行鶴見支店(当時の名称は「第一銀行鶴見支店」であつた。)に開設した普通預金口座(口座番号〇一八三六二)があり、これには、同原告の不動産収入や譲渡収入等の入金があり、同預金から振替出金して設定された同原告名義の定期預金が存在するほか、元昭についても、昭和四〇年一二月三〇日に第一勧業銀行鶴見支店に開設した普通預金口座(口座番号〇一八一八九)及び昭和四一年八月一六日に三菱銀行鶴見支店に開設した普通預金口座(口座番号一七七六五四七)があり、その入金状況に照らし不動産収入が入金されているのであつて、原告らが四朗にその不動産収入をすべて渡していたとはいえない。

したがつて、原告らの原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金は、四朗に帰属し同人が所有する同人名義の預金または現金から支払われたものであつて、原告らが四朗に保管・管理を任せていた原告ら固有の財産から支払われたものではない。

2  原告らの反論2については争う。

原告らは、原告らの収入がすべて四朗の管理する預金及び現金に入金されていたことを前提に各人の収支計算をして、右預金及び現金に含まれている原告ら各人の個人資金を算出し、この個人資金をもつて出資払込金及び所得税納付金の全部または一部の支払いが可能であるから、この支払可能部分は贈与に当たらない旨主張する。しかし、右1のとおり、四朗の管理する預金及び現金は、同人個人の所有であるから、右の如き収支計算すること自体が無意味である。また、原告ら各人の収入のすべてが四朗の管理する預金及び現金に入金されたわけではなく、かつ、原告ら各人のために支出・費消された出金についても実額ではなく、単なる仮定的計算に過ぎないから、右の如き収支計算をすることはいずれにしても意味がない。

右のとおり、原告ら各人の収支計算をすることは意味がないものであるが、原告らの主張に対する仮定的反論として、被告は以下のとおり主張する。

(一) 原告哲夫の収支計算について

原告哲夫は、右1のとおり、昭和四一年二月八日、第一勧業銀行鶴見支店に普通預金口座(口座番号〇一八三六二)を開設し、同原告固有の口座として、土地の譲渡代金や不動産収入を入金し、また、定期預金への振替えや現金払戻請求による出金をしてこれを管理してきた。

そうすると、原告哲夫の右普通預金口座への入金額は、原告ら主張の原告哲夫の収入金額(四朗の保管に係る分)から当然除外されるべきであり、また、昭和四一年九月三〇日に同原告の右普通預金から振り替えられた定期預金八〇〇万円のほか、同年三月三一日に右普通預金から振り替えられた定期預金一一〇〇万円、昭和四四年三月一五日に払い戻された九八万円及び本件出資に係る昭和四六年末の預金残高二一六万九六五八円を原告ら主張の同原告の収入金額から除外すべきこととなり、その計算によれば、同原告の収支計算は別表一二記載のとおりとなり、同原告は結局四朗からの贈与を受けなければ到底本件出資を行うことはできなかつたことになる。

(二) 元昭の収支計算について

元昭は、前記1のとおり、第一勧業銀行鶴見支店及び三菱銀行鶴見支店に、それぞれ普通預金口座(前者の口座番号は〇一八一八九、後者の口座番号は一七七六五四七)を開設して自己の不動産収入等を預金していたから、同人の右二口の普通預金の昭和四六年末における残高(第一勧業銀行鶴見支店の分は、昭和四六年八月一三日当時で八一万三二九四円、三菱銀行鶴見支店の分は、同年末当時で六一万一二二二円である。)を原告ら主張の元昭の収入金額(四朗の保管に係る分)から除外しなければならない。

また、原告らは、元昭の収入として、不動産収入のほかに給料収入までも四朗が管理していたと主張するが、給料収入についてはこれを四朗とは住居を異にする元昭が四朗に渡していたとは考えられない。

そうすると、元昭の収支計算は別表一三記載のとおりとなり、同人の昭和三八年から昭和四六年または昭和四七年までの不動産収入からその間の支出を差し引いた残高によつては、昭和四六年中の出資四一五万円、所得税三五万六三〇〇円及び昭和四七年中の出資九〇〇万円、所得税六四万一三〇〇円の全額を支出できないことになる。

(三) 原告悦朗の収支計算について

原告らは、原告悦朗の収入として、不動産収入のほか給料収入及び譲渡収入までも四朗が管理していたと主張しているが、給料収入については、同原告が住居を異にする四朗に渡していたとは考えられないし、また、四朗が原告悦朗の譲渡収入三〇〇万円を管理していたとすることもできない。

また、原告悦朗は昭和四六年に結婚して四朗が新築した横浜市鶴見区下末吉三-八-三三所在の家屋に居所を構えたのであるが、その際の家具等の購入費なども支出に計上されるべきである。

そうすると、原告悦朗の収支計算は別表一四記載のとおりとなり、昭和三八年から昭和四六年または昭和四七年までの不動産収入からその間の支出を差し引いた残高によつては、昭和四六年中の出資五一五万円、所得税八六万三四〇〇円及び昭和四七年中の出資八〇〇万円、所得税三五万七九〇〇円の全額を支出できないことになる。

(四) 原告てるの収支計算について

原告てるについても、原告悦朗の場合と同様に昭和三八年から昭和四六年までの収入及び支出の累計を対比して出資等の能力を判断すべきである。

そうすると、原告てるの収支計算は別表一五記載のとおりであり、同原告の昭和三八年から昭和四六年までの不動産収入から支出を差し引いた残高によつては、昭和四六年中の出資二九五万円、所得税三万八八〇〇円を賄い得ないことが明らかである。

3  別表七ないし一〇の各(一)ないし(三)について

(一) 経常収入について

経常収入の各年度の金額が、原告らの確定申告に係る各年分の各種所得の収入金額と同金額であることは認めるが、それが経常収入のすべてであるか否かは不知。

(二) 臨時収入について

臨時収入の金額が、原告哲夫及び同悦朗の確定申告に係る譲渡所得の収入金額と同金額であることは認めるが、それが臨時収入の全てであるか否かは不知。

(三) 収入合計について

原告ら主張の経常収入と臨時収入を加算すると収入合計記載の金額になることは認める。

(四) 経費合計については争う。

経費合計の金額に、不動産所得の必要経費額、原告各自が納付すべき所得税及び地方税の額、生命保険料の額及び社会保険料の額について、原告ら各自が負担すべき金額が含まれていることは認める。

なお、右経費合計には生計費が含まれているが、原告ら横山一族は高額所得者であることからその生計費は、総理府統計局資料を基とした全世帯の平均的な生活費をはるかに超えるものと認められるので、経費合計の各年分記載の金額が原告らの各年分の経費の総額であることについては争う。

(五) 純所得については争う。

(六) 累積所得については争う。

(七) 支出については、「支出欄」に記載されている各支出があつたことは認める。

(八) 収支差については争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録の記載を引用する。

理由

一  請求原因1ないし5の事実は当事者間に争いがない。

二  そこで、原告らが四朗から贈与を受けたか否かについて判断する。

1  原告ら、四朗、横山リン及び横山企業が原告関連会社に対し、別表二記載のとおり出資し、その入金状況が別表三記載のとおりであること(被告の主張1(一))、右出資金は合計七〇〇〇万円であり、そのうち別表二末段記載の横山企業出資分五〇〇万円及び四朗出資分八八〇万円は同企業及び四朗自身の資金をもつて出資したものであり、残五六二〇万円のうち昭和四七年一一月二七日の横山殖産に対する原告哲夫の出資分二〇〇万円も同原告の資金に基づく出資であること、残五四二〇万円については、その出資主体は別表二記載のとおりであるものの、その五四二〇万円と四朗出資の八八〇万円を合計した六三〇〇万円の資金は別表四記載のとおりに(但し、末尾の原告哲夫欄は除く。)いずれも四朗名義の預金または四朗保管の現金をもつて手当てされたこと(同1(二)、(三))、その資金の支出者が原告らか四朗かは別にして原告らが被告に対し別表五(一)、(二)記載のとおりその所得税の納付をしたこと(同2)、原告らが四朗から横山企業の出資金を五四万五二五〇円ずつ贈与されたこと(同3冒頭部分)、の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実に、成立に争いのない甲第三七、三八号証、第四三号証、乙第二ないし第四号証、第七、八号証の各一、第一五号証の一、第三二号証、第三四号証、第六三号証、第一〇二号証、原本の存在及びその成立に争いのない乙第一号証、第五、六号証の各一、二、第七、八号証の各二、第一五号証の二ないし五、第二一ないし第二四号証、第二八、二九号証、第三三号証の二、第四八、四九号証、第五五号証の一ないし六、第六四号証の一ないし六(但し、同号証の一、二の「横山四朗」と記載された部分を除く。)、第七五、七六号証の各一、第七七ないし第八五号証の各一、二、第九〇号証の一、第九一、九二号証の各一、二、第九三号証の一、第九四、九五号証の各一、二、第一〇〇、一〇一号証の各一、二、証人米山昭の証言により真正に成立したと認められる乙第三〇号証(原本の存在も認められる。)、第六九号証の一ないし五、第七〇号証の一、二、第八七号証の一ないし四、原告横山哲夫本人尋問の結果により真正に成立したと認められる甲第三六号証、乙第三三号証の一(原本の存在も認められる。)、右原告本人尋問の結果を総合すると以下の事実が認められる。

(一)  (関係者の身分関係)

四朗は、明治二六年一一月一三日に生まれ、昭和一三年から昭和二二年まで横浜市会議員を、昭和三〇年から五〇年まで神奈川県会議員をそれぞれ務める一方、横浜市鶴見区内に多くの不動産を所有し、これらの土地を賃貸または譲渡して多額の収入を得、さらに、鶴見青果株式会社(以下「鶴見青果」という。)の代表取締役に就任していた者であるが、昭和五八年三月二三日死亡した。

原告哲夫は、昭和三年、四朗の三男として生まれたが、四朗の長男は昭和二〇年に戦死し、また、同人の次男は昭和三年に死亡していたため、実質的には四朗を継ぎ横山家の当主になる者であつた。同原告は、昭和二三年二月に結婚し、四朗とは別居して横浜市鶴見区佃野町七〇〇番地に居住し、昭和二四年七月に長女をもうけ、以後親子三人で生活しており、長女を法政大学付属中学校、高校、大学と進学させていた。同原告は、新制大学卒業後の昭和二九年から横浜市鶴見区生麦三-三-一二所在の家屋に転居してアンゴラ兎の毛の貿易、アイスクリームの卸業を行つていたが、昭和三九年二月店舗兼工場の建物を焼失したため、商売を辞めて四朗の政治活動を手伝うようになり、昭和三九年六月八日から横山企業の代表取締役に、また、横山商事、横山殖産及び鶴見青果の各取締役にも就任していた。同原告は、昭和三九年から昭和五〇年三月まで、横浜市鶴見区生麦三-三-一二所在の家屋から四朗の居住する実家に通つて四朗の政治活動を手伝つていたが、同原告の妻も、同原告の母親が老齢なため、四朗の自宅に毎日のように出入りして、四朗の客の応対等を手伝つており、同原告の家族は四朗の自宅で日常生活の大半を過ごしていたが、同原告は、昭和五〇年三月に四朗の家屋に転居し、同年四月から四朗に代わる形で神奈川県会議員になつた。

元昭は、昭和一四年一二月二九日四朗の四男として生まれ、昭和三二年四月日本歯科大学に入学して、昭和三八年三月卒業した。その後も同大学で研究を続け同大学の助教授となり、昭和四八年一一月勝子と結婚して長男横山敬一、長女横山祥子をもうけたが、昭和六〇年四月二〇日死亡した。

原告悦朗は、昭和二〇年七月六日四朗の五男として生まれ、昭和三九年四月一日北里大学薬学部に入学して、昭和四四年三月同大学を卒業した(乙第一〇二号証)。昭和四五年まで実験動物中央研究所に勤務し、昭和四六年五月一四日結婚して、三年程は四朗と同居し、その後別に住居を求めて転居した。昭和四八年、同原告は松阪屋にストアー経営を勉強するために就職した。

原告てるは、大正一二年五月二三日に四朗の長女として生まれ、昭和二八年横山盛行と結婚して両親とは別に居を構えて暮らしている。

横山企業は、昭和三六年八月七日に設立された不動産の賃貸、売買及びその仲介、アパート及び店舗の経営・貸付等を目的とする有限会社であるが、四朗を当主とする横山家のいわゆる同族会社であつて、原告らは昭和三九年六月八日からその取締役及び監査役に就任していた。

(二)  (関係者の収支概況)

四朗は原告らに対し、昭和二〇年代からその所有の不動産を贈与し、原告らはこれにより賃料等の不動産収入を得ていた。そこで、元昭と原告悦朗は、四朗と同居していては資産合算により税金を多く納税しなければならないと考え、四朗との住居を別にすることにし、昭和三九年三月二五日、四朗が終戦後間もなく建て、元昭に贈与していた横浜市鶴見区鶴見町七〇〇番所在の家屋(原告哲夫が居住していた同区佃野町七〇〇番と同じ所で、四朗の弟が文房具店をしていた家屋)に転居したことにし、其の旨鶴見区役所に転居届け(乙第四八、四九号証)を提出したが、右家屋の二階に寝泊まりするだけで、食事等の日常生活は実家で四朗と共にしていた。その後、元昭は引き続き右家屋に居住していたが、原告悦朗は、昭和四六年五月一五日結婚と同時に横浜市鶴見区下末吉町三-八-三三所在の四朗の住居と棟続きの建物に転居し、三年程ここに居住した。

原告哲夫は、昭和三九年から本格的に四朗の政治活動を手伝うとともに、四朗所有の不動産及び同人から原告らに贈与された不動産の維持・管理(賃料の徴収及び固定資産税の納付等)を行い、また、横山企業の代表取締役として、その経営にも参画していたが、原告らの収入となるべき不動産収入及び横山企業からの給与収入の各一部を原告らに渡さず、四朗の収入と合算して、四朗の政治資金(選挙地盤の維持・管理費用)または生活費等として費消することもあつた。しかし、原告哲夫は、右の四朗の生活費または政治資金への組入れに係る原告らの収入となるべき金額を帳簿等に記帳していないため、原告ら各人の右資金に対する拠出金額は全く不明となつているが、原告らは四朗に対し、右資金に対する権利の主張等を行うことはなく、四朗または原告哲夫の処分に任せ、その精算を求めることもなかつた。

なお、元昭は日本歯科大学からの給料を、原告悦朗は昭和四四、四五年に実験動物中央研究所からの、昭和四八年以降松阪屋ストアーからの給料を、それぞれが全額取得していた。

(三)  (関係者の収入金額)

四朗は、昭和三八年から昭和四七年までの一〇年間に、不動産収入の合計額が少なくとも九八二三万八六七三円、給与収入の合計額が少なくとも四七四〇万六五五五円、譲渡収入の合計額が少なくとも一億五〇四二万二一九三円と納税申告し、その総所得金額の合計は二億九六〇六万七四二一円以上となつていた(乙第七五ないし第八五号証の各一、第七七ないし第八五号証の各二。別表一一(一)参照。但し、乙第七六号証の一により、昭和三九年は、不動産収入は少なくとも三二九五万六五三七円、給与収入は少なくとも三七六万五〇六一円、譲渡収入は少なくとも二二四四万一七六八円として計算した)。

これに対し、原告哲夫は、不動産収入及び給料収入の合計金額について、昭和四二年が四九七万七九七九円、昭和四三年が七〇七万三八四七円、昭和四四年が六二九万六二四五円、昭和四五年が七二八万二八三四円、昭和四六年が八六八万八九〇五円(右五年間の合計は三四三一万九八一〇円。別表七(一)の「経常収入」欄及び同表一二の「〈1〉収入合計」欄参照)と納税申告していた。

次に元昭は、経常収入金額につき、昭和四三年が三九〇万〇六四二円(そのうち給料収入が一五〇万四八一四円)、昭和四四年が三四九万〇三六八円(右同が一七三万〇一〇〇円)、昭和四五年が三九六万三二四〇円(右同が二一〇万三六一八円)、昭和四六年が五二一万三九九〇円(右同二三一万二七〇〇円)と申告していた(右四年間の経常収入の合計は一六五六万八二四〇円。別表八(一)の「経常収入」欄及び同表一三の「〈1〉不動産収入」欄参照。経常収入から不動産収入を控除すると給与収入となる。また甲第三六号証、乙第九一号証の二、第九二号証の一、二、第九三号証の一、第九四号証の一、二、第九五号証の一、二)。

次いで、原告悦朗は、経常収入につき昭和四三年が六四九万六一五五円、昭和四四年が三一一万九二六四円(そのうち給料収入が五三万二八二四円)、昭和四五年が五七六万六二一五円(右同が九五万七六二四円)、昭和四六年が四六〇万二四一二円(右同が六四万円)、昭和四七年が三九八万二九七八円(右同が一一四万円)と申告していた(右五年間の合計経常収入は二三九六万七〇二四円。別表九(一)の「経常収入」欄及び同表一四の「〈1〉不動産収入」欄並びに甲第三六号証、乙第一〇〇〇、一〇一号証の各一、二)。

次いで、原告てるは、昭和三八年から昭和四六年までの九年間の不動産収入が別表一五の「〈1〉不動産収入」欄記載のとおり合計八八二万七二七五円(別表一〇(三)の「不動産所得」欄及び同表一五の「不動産収入」欄参照)あつたと納税申告していた。

なお、原告哲夫、元昭及び原告悦朗の申告に係る給料収入は次のとおりである(甲第三六号証、乙第九一号証の一、第九二号証の一、二、第九三号証の一、第九四、九五号証の各一、二、第一〇〇、一〇一号証の各一、二)。

昭和四一年 原告哲夫 合計一三一万八〇〇〇円(横山企業-一〇五万円、鶴見青果-一四万八〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計八九万九六三九円(横山企業-五四万円、日本歯科大学-三五万九六三九円)

昭和四二年 原告哲夫 合計一六一万四〇〇〇円(横山企業-一三五万円、鶴見青果-一四万四〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計一〇三万〇九五〇円(横山企業-六〇万円、日本歯科大学-四三万〇九五〇円)

昭和四三年 原告哲夫 合計二五一万四〇〇〇円(横山企業-二二五万円、鶴見青果-一四万四〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計一五〇万四八一四円(横山企業-八七万円、日本歯科大学-六三万四八一四円)

昭和四四年 原告哲夫 合計二六七万四〇〇〇円(横山企業-二四〇万円、鶴見青果-一五万四〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計一七三万〇一〇〇円((横山企業-九三万円、日本歯科大学-八〇万〇一〇〇円)

原告悦朗 合計五三万二八二四円(実験動物中央研究所)

昭和四五年 原告哲夫 合計二七八万四〇〇〇円(横山企業-二四〇万円、鶴見青果-二六万四〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計二一〇万三六一八円(横山企業-九六万円、日本歯科大学-一一四万三六一八円)

原告悦朗 合計九五万七六二四円(実験動物中央研究所)

昭和四六年 原告哲夫 合計二九〇万四〇〇〇円(横山企業-二四〇万円、鶴見青果-二六万四〇〇〇円、四朗-一二万円)

元昭 合計二三一万二七〇〇円(横山企業-九六万円、日本歯科大学-一三五万二七〇〇円)

原告悦朗 合計六四万円(横山企業)

昭和四七年 原告哲夫 合計三八〇万四〇〇〇円(横山企業-三三〇万円、鶴見青果-二六万四〇〇〇円、四朗-二四万円)

元昭 合計二九二万〇五六六円(横山企業-一一四万円、日本歯科大学-一七八万〇五六六円

原告悦朗 合計一一四万円(横山企業)

昭和四八年 原告哲夫 合計四一〇万四〇〇〇円(横山企業-三六〇万円、鶴見青果-二六万四〇〇〇円、四朗-二四万円)

元昭 合計三七七万二六〇〇円(横山企業-一六五万円、日本歯科大学-二一二万二六〇〇円)

原告悦朗 合計二二四万五七九五円(横山企業-一六五万円、松阪屋ストア-五九万五七九五円)

(四)  (原告関連会社への出資等)

横山企業は、別表二「〈1〉横山企業」欄記載のとおり昭和四六年七月二四日に二〇〇〇万円の増資を行い、原告ら、四朗及び横山リンがそれぞれ同表同欄記載のとおり出資したが、その出資金は、別表四記載のとおり同日第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の別段預金(以下「本件別段預金」という。)から一五〇〇万円(乙第一五号証の(三)、(四))、同月二三日同銀行同支店の四朗の仮名義の定期預金から五〇〇万円(乙第五九、六〇号証)が払い込まれた。

横山商事は、別表二「〈2〉横山商事」欄記載のとおり昭和四六年九月二二日に資本金一〇〇〇万円で設立され、原告ら、四朗、横山リン及び横山企業がそれぞれ右同表同欄記載のとおり出資したが、その出資金のうち横山企業の出資分を除く分(九〇〇万円)は、別表四記載のとおり同日四朗の所持していた現金から払い込まれた。

横山商事は、別表二「〈3〉横山商事」欄記載のとおり昭和四七年五月二〇日に三〇〇〇万円の増資を行い、原告ら、四朗、横山リン及び横山企業がそれぞれ右同表同欄記載のとおり出資したが、その出資金のうち横山企業の出資分を除く分(二七〇〇万円)は、別表四記載のとおり四朗の所持していた現金から払い込まれた。

横山殖産は、別表二「〈3〉横山殖産」欄記載のとおり昭和四七年一一月二七日に資本金一〇〇〇万円で設立され、原告ら、四朗、横山リン及び横山企業がそれぞれ右同表同欄記載のとおり出資したが、その出資金のうち横山企業の出資分を除く分(九〇〇万円)は、別表四記載のとおり同日第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金(乙第一五号証の五、第八七号証の四)から一〇〇万円、同銀行同支店の原告哲夫名義の普通預金から二〇〇万円(乙第一五号証の六、第六九号証の四)、四朗の所持していた現金から六〇〇万円が払い込まれた。

(五)  (原告らの所得税の納付状況)

原告らは、別表五(一)、(二)記載のとおり、所得税を納付しているが、右各所得税は、横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金(口座番号一八-六四〇)から支払われている(昭和四六年分につき乙第八号証の二、昭和四七年分につき乙第六三号証、第六四号証の一ないし六)。

(六)  (支払資金の出所)

四朗は、第一勧業銀行鶴見支店、横浜銀行鶴見西口支店及び横浜信用金庫末吉支店にそれぞれ預金口座を有していたが、第一勧業銀行鶴見支店の普通預金(口座番号〇一〇一一九、乙第七号証の二)から、昭和四六年七月二一日七一〇万円が引き出されて本件別段預金に入金され(乙第一五号証の二、第八七号証の二)、それが原告らの横山企業に対する増資払込金にあてられており、また、横浜銀行鶴見西口支店の普通預金(口座番号一八-六四〇。乙第八号証の二)から、昭和四六年七月二一日四九〇万円が引き出され本件別段預金に入金され(乙第一五号証の二、第八号証の二)、原告らの横山企業に対する増資払込金にあてられているうえ、原告らの所得税納付金の支払にもあてられており、さらに、横浜信用金庫末吉支店の普通預金(口座番号〇五-五〇-〇〇一-〇二一、甲第三八号証)は固定資産税及び市県民税の支払いに利用されていた。

ところで、四朗は、昭和三九年一一月一日、日本鋼管株式会社に対し、四朗所有の横浜市鶴見区下末吉町旭台四二〇番外七筆の土地合計一〇〇〇坪を権利金三〇〇〇万円、賃料月額二万円(毎年三月及び九月の各末日までに六箇月分を先払いする。)とする条件で貸し渡し(乙第五号証の一、二)、また、昭和四〇年四月一日、日本鋼管株式会社に対し、四朗所有の右同所四二三番一外二〇筆の土地合計三一三一坪を権利金三〇〇〇万円、賃料月額六万二六二〇円(右同)とする条件で貸し渡している(乙第六号証の一、二)ところ、右権利金の一部は、昭和四〇年四月三〇日前述の第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金(口座番号〇一〇一一九。乙第七号証の二)及び横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金(口座番号一八-六四〇。乙第八号証の二)に各一五〇〇万円ずつ入金され、また、右賃料も右各預金口座に入金されている。

なお、四朗及び原告らの不動産収入は、その入金方法別件数においては現金が約九割、小切手及び銀行振込が約一割であつたが、その金額高においては現金が約五割であつた(乙第三二号証)。また、右の第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金及び横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金に入金された不動産収入の中には、四朗から原告らに贈与された不動産から生ずる原告らに帰属すべき収入が一部混在しているが、それはわずかであつて、前記日本鋼管をはじめとする四朗固有の不動産収入がその大部分を占めている。また、右預金は名義人の四朗だけが自由に費消できるものであつて、わずかに原告哲夫が四朗の指示に従つてその出し入れ事務にのみ関与しただけで、その余の原告らは右預金の処分権限はもとよりその口座の管理権限等はこれを全く有していなかつた。

(七)  (原告らの固有の預金口座)

原告哲夫は、日本道路公団に売却した土地代金を入金するために、昭和四一年二月八日、第一勧業銀行鶴見支店に普通預金口座(口座番号〇一八三六二。乙第二九、三〇号証、第六九号証の一ないし五)を開設し、そこに不動産の譲渡代金の他に不動産収入の一部も入金していた(昭和四一年において小切手振込による入金が一八回にわたり合計一七五万五四八六円、銀行振込による入金が六回にわたり合計一七五九万八九五九円、昭和四二年において小切手振込による入金が八回にわたり合計二四万円、昭和四三年において小切手振込による入金が一回で一〇万円、銀行振込による入金が三回にわたり一五七万〇六六五円、昭和四四年において小切手振込による入金が三回にわたり合計九万一四四九円である。)が、昭和四一年三月三一日右口座から一一〇〇万円を定期預金に振り替え、また、同年九月三〇日同様に八〇〇万円を定期預金(乙第二八号証)に振り替えた。

元昭は、昭和四〇年一二月三〇日、第一勧業銀行鶴見支店に普通預金口座(口座番号〇一八一八九。乙第三三号証の一、二、第七〇号証の一、二)を開設し、不動産収入の一部を入金しており(昭和四〇年一二月三〇日から昭和四六年八月一三日にわたつて、一〇万円以上の現金を八回も入金している。)、また、昭和四三年八月一六日、三菱銀行鶴見支店に普通預金口座(口座番号一七七六五四七。乙第三四号証)を開設し、昭和四五年四月九日に二〇万円、昭和四六年八月一三日に三〇万円を入金している。

原告悦朗は、第一勧業銀行鶴見支店において昭和四二年一〇月五日一〇〇万円、昭和四七年六月二八日五〇万円をそれぞれ普通定期預金口座に入金していた(乙第五五号証の一ないし六)。

以上のとおり認められ、これに反する原告横山哲夫本人尋問の結果は次の説示するとおり信用できず、その他右認定を覆すに足る証拠はない。

すなわち、原告横山哲夫本人尋問の結果中には、原告哲夫が原告らの不動産収入及び横山企業からの給与収入のすべてを原告らに渡さず、四朗の政治資金及び生活費にしていた旨の供述部分がある。しかし、右(七)認定のとおり、原告哲夫は、昭和四一年二月八日に第一勧業銀行鶴見支店に自己の普通預金口座を開設し、昭和四一年から昭和四四年にわたつて、多数回にわたり小切手振込による入金及び銀行振込を受け、また、元昭は、昭和四〇年一二月三〇日に第一勧業銀行鶴見支店に、昭和四三年八月一六日に三菱銀行鶴見支店にそれぞれ普通預金口座を開設して、一〇万円以上の金額を入金しているのであり、さらに、原告悦朗は、昭和四二年一〇月五日に第一勧業銀行鶴見支店に普通定期預金を開設し、一〇〇万円を入金しているところ、これらは右原告らの不動産収入または横山企業からの収入(但し、原告哲夫については日本道路公団に売却した土地譲渡代金を含む。)以外には考えられない。このことから明らかなとおり、原告らが不動産収入及び横山企業からの給料収入のすべてを四朗に渡していたとはいえず、原告哲夫の右供述は信用できない。

3  右認定事実を前提にして、原告らが四朗から贈与を受けたか否かについて検討する。

(一)  原告らは、原告ら名義で、別表二記載のとおり原告関連会社に対し出資し、また別表五(一)、(二)記載のとおり所得税を納付してきたのであるが、右出資払込金及び所得税納付金は、四朗名義の銀行預金または四朗の所持・管理していた現金から支出されたものである。

そして、この点を詳しくみるに、原告ら名義の横山企業に対する別表二の「〈1〉横山企業」欄記載の出資払込金総額一五六〇万円は、四朗名義の本件別段預金からの一五〇〇万円と第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の定期預金からの五〇〇万円によつて賄われたところ、右の一五〇〇万円の本件別段預金は、第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金から昭和四六年七月二一日に引き出された七一〇万円、横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金から引き出された四九〇万円及び四朗の所持管理していた現金が各入金されて構成されたものである。また、原告ら名義の横山商事に対する別表二の「〈2〉横山商事」欄記載の設立出資払込金総額七〇〇万円及び別表二の「〈3〉横山商事」欄記載の増資出資払込金総額二一〇〇万円は四朗の所持・管理する現金によつて払い込まれた。さらに、原告ら名義の横山殖産に対する別表二の「〈4〉横山殖産」欄記載の設立出資払込金総額七〇〇万円は、第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金及び四朗の所持・管理していた現金によつて払い込まれた。そして、原告ら名義で別表五(一)、(二)記載のとおり昭和四五年ないし昭和四七年の原告らの各所得税が納付されているが、右所得税は横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金によつて納付された。

(二)  次に、右出資金及び所得税納付金の支払窓口となつた第一勧業銀行鶴見支店及び横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の各普通預金(以下「プール預金」ということがある。)の源資について検討する。

まず、第一勧業銀行鶴見支店の四朗名義の普通預金口座には、四朗が昭和三九年一一月一日及び昭和四〇年四月一日に日本鋼管株式会社に四朗所有の土地を賃貸したことによつて得た六〇〇〇万円に及ぶ権利金及び毎月八万二六二〇円に及ぶ賃料の各一部が入金(昭和四〇年四月三〇日に一五〇〇万円が入金されている。)されており、また、その他にも四朗の不動産収入が入金されていたところ、右口座には、これとは別に四朗から原告らに贈与済みの不動産についての収入として原告らに帰属すべき不動産収入が一部混在しているが、それはわずかであつた(甲第九号証の二の裁決書の理由によれば、昭和四三年四月二六日から昭和四六年一二月三一日までの間に総額一〇九八万二五八九円(二六件)の四朗の不動産収入が小切手により右口座に入金されていたのに対して、原告らに帰属すべき不動産収入は、昭和四三年一月一日から昭和四六年一二月三一日までの間に原告哲夫の分が総額八三万九一五七円(二六件)、元昭の分が総額二二万一三四〇円(三〇件)、原告悦朗の分が一二四万一六〇〇円(八件)、原告てるの分が二四万七九三四円(二件)だけ小切手により右口座に入金(合計二五五万〇〇三一円とされていたと窺われる。)。

また、横浜銀行鶴見西口支店の四朗名義の普通預金口座には、四朗が日本鋼管株式会社に四朗所有土地を賃貸したことにより得た右権利金及び賃料の各一部が入金(昭和四〇年四月三〇日に一五〇〇万円が入金されている。)され、また、その他にも四朗の不動産収入が、入金されていた。もつとも、右口座には、これとは別に四朗から原告らに贈与された不動産に係る原告らに帰属すべき不動産収入がわずかながら混在して入金されていた(ちなみに甲第九号証の二の裁決書の理由によれば、昭和四三年から昭和四六年一二月三一日までの間に総額一〇六五万九七六四円(九件)の四朗の不動産収入が小切手により右口座に入金されていたのに対して、原告らに帰属すべき不動産収入は、昭和四三年から昭和四六年一二月三一日までの間に原告哲夫の分が総額一八万九九五七円(四件)、元昭の分が総額二万六〇四〇円(三件)だけ小切手により入金(合計二一万五九九七円)されていたと窺われる。)。

(三)  次に、四朗の所持・管理していた現金(以下「プール金」という。)の源資について検討する。

プール金の出所、各年における残高、その支出状況を直接明らかにする証拠はない。

そこで、四朗と原告らの収入とを対比して検討するほかないところ、四朗は、不動産収入(賃料、権利金、更新料等)のほかにも県議会議員報酬、鶴見青果からの役員報酬等の給与収入及び不動産譲渡収入があり、昭和三八年から昭和四七年までの納税申告所得は、少なくとも合計二億九六〇六万七四二一円である。これに対し、原告哲夫の納税申告所得は昭和四二年から昭和四六年までの五年間で合計三四三一万九八一〇円、元昭のそれは昭和四三年から昭和四六年までの四年間で合計一六五六万八二四〇円、原告悦朗のそれは昭和四三年から昭和四七年までの五年間で合計二三九六万七〇二四円、原告てるのそれは昭和三八年から昭和四六年までの九年間で合計八八二万七二七五円に過ぎないのである。

次に、支出面をみるに、原告哲夫は、昭和二三年四月に結婚し、昭和二四年七月には長女をもうけ、親子三人で四朗とは別の住居を構えて生活していたのであり、しかも、昭和三七年四月からは長女を法政大学付属中学校に入学させ、高校、大学と進学させていたのであるから、昭和三九年ころから昭和五〇年ころまで父である四朗の住居にいることが多かつたとしても相当の生活費を必要としたこと(前掲甲第三六号証によれば、政治活動の手伝いについて四朗からわざわざ手当てまで貰つていることが認められる。)は十分に推認され、また、昭和四一年三月三一日に一一〇〇万円の、同年九月三〇日に八〇〇万円の各定期預金をし、さらに、昭和四一年二月八日、第一勧業銀行鶴見支店に原告哲夫名義の普通預金口座を開設し、そこに同原告の不動産譲渡収入及び不動産収入の一部を入金していたのであるから、同原告が自己の収入の大半をプール金に入れていたとは考え難い。

また、元昭は、昭和三八年三月に日本歯科大学を卒業するまで四朗と生活をともにしていたのであるが、不動産収入の一部を、昭和四〇年一二月三〇日以降第一勧業銀行鶴見支店の同人名義の普通預金に、昭和四五年四月九日以降二回にわたつて三菱銀行鶴見支店にそれぞれ入金しており、元昭がその不動産収入及び横山企業からの給与収入をすべてプール金またはプール預金に入れていたとは考え難い。

さらに、原告悦朗は、昭和四四年三月に北里大学を卒業し、昭和四五年まで実験動物中央研究所に勤務したが、結婚生活を始めていた昭和四六年四六、四七年当時、横山企業からの給料収入及び不動産収入以外には収入がなく、結婚後も四朗と同居していたにしても、右給料収入及び不動産収入を全く受領せずに結婚生活を維持していたとは考え難く、また、第一勧業銀行鶴見支店に昭和四二年一〇月五日一〇〇万円、昭和四七年六月二八日五〇万円の各普通定期預金をしていることからして、原告悦朗がその収入のすべてをプール金及びプール預金に入れていたとは考え難い。

そうすると、プール金は四朗の収入から構成されていたというべきであつて、反対に原告らの収入のうちプール金に入れられた金額を認める証拠はない。

(四)  さらに、プール預金ないしプール金に対する処分権について検討する。

プール預金及びプール金の処分権限は四朗に専属し、わずかに原告哲夫がプール預金の出し入れに関与していたものの、それも四朗の指示に反することはできなかつた。そして、原告らは、四朗に対しプール預金及びプール金の引き渡しを求めないばかりでなく、原告ら各自のプール金及びプール預金に対する収支を明確にすることさえも求めず、四朗が自由に費消または預金することを是認していた。

なお、プール金及びプール預金の中に原告らに帰属すべき不動産収入が一部混在していたと窺えること既に判示のとおりであるが、右のとおり原告らはこれについて何らの権利行使、主張をしなかつたこと、その収入をもたらす不動産が四朗から贈与されたものであつたことからすると、当時は当該不動産の所有権の取得をもつて満足し、その果実たる不動産賃貸収入は逆に四朗の政治活動その他の資金に供するために同人に帰属させる(贈与)ことにしたものと推認されるのであつて、右の点も四朗がプール預金及びプール金に対して専ら処分権を有していたとの前認定を妨げるものではない。

(五)  以上のとおり、原告らの原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金は四朗名義の預金及び四朗の所持・管理する現金から支出されたところ、四朗の収入は右出資払込金及び所得税納付金を支出するに十分な程あつたのに対し、原告らの収入は四朗程に余裕のあるものではなく、しかもプール預金に入金されているのは大部分が四朗の収入金であつて原告らの収入からプール金及びプール預金に拠出された金額を確定するに足りる的確な証拠はない。さらに、プール金及びプール預金の処分権限は四朗に専属し、プール金及びプール預金に組み込まれた原告らの収入金もこれを四朗の資産に帰属させる趣旨と推認されること前判示のとおりである。

そうすると、原告らの原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金は、四朗の資産から支出されたものというべきであり、四朗から原告らに対し、右出資払込金及び所得税納付金に相当する金額の贈与があつたと認めるのが相当である。

4  原告らの主張について

(一)  原告らは、四朗が政治家であるため多額の政治資金を必要とし、かつ、その運用上、家族である原告らの収入をすべて四朗のもとに集め、同人が保管していたのであるところ、原告らの原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金は、右四朗保管の原告ら固有の収入金から支出されたのであつて、四朗から原告らに贈与されたものではない旨主張する。

しかし、前記説示のとおり、プール金及びプール預金はすべて四朗に帰属するというべきであるから、原告らの右主張は失当である。

(二)  原告らは、昭和四三年から昭和四七年(但し、原告哲夫については昭和四一年から昭和四七年である。)までの収支を計算して、原告らに原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出する資力があつた旨主張する。そして被告も仮定的とはいえこれに反論している。

そこで、念のために、主として原告らの申告額を基礎にした収支を試算してみると、以下のとおり、原告らの収入によつては、係争年分の原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出する能力はなかつたといわざるを得ない。

(1) まず、原告哲夫の昭和四一年から昭和四六年までの収支について考察する。

まず、原告哲夫の収入についてみるに、同原告の昭和四一年から昭和四六年までの申告に係る収入が別表一二の「〈1〉収入合計」欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

次に、経費等についてみるに、昭和四一年から昭和四六年までの不動産所得の必要経費、専従諸給与、生命保険料、社会保険料及び生活費が別表一二の各該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。所得税については、昭和四一年から昭和四四年までの各金額が別表一二の「所得税」欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。昭和四五年分所得税のうち、原告ら主張金額一二二万七三二〇円(別表七(二)の「所得税」欄参照)から前記争いのない昭和四六年四月一日納付に係る原告哲夫の昭和四五年分の所得税納付分四八万一三〇〇円(別表五(一)の「原告哲夫」欄〈1〉参照)を控除した被告主張額七四万六〇〇〇円及び昭和四六年分全部についてはこれを納付する能力があつたかを検討するのであるからこれを経費等に加えないものとする(以下、各原告について同じ。)県市民税については、原本の存在及びその成立に争いのない乙第六五号証の一によれば、同原告の県市民税の金額が、昭和四二年分を除いて別表一二の「県市民税」欄記載のとおりであることが認められ、また、昭和四二年分の県市民税については、昭和四二年から昭和四四年までの各所得税金額の合計額三九〇万七三〇〇円に対する昭和四三年から昭和四五年までの各県市民税金額の合計金額一八〇万九五七〇円の割合約四六パーセントを昭和四一年分所得税の金額に乗じて算出した金額七八万九四六〇円とする。

以上に従つて原告哲夫の収支を計算すると、次のとおり(概ね被告主張のとおり)となる。

〈省略〉

ところが、前記二2(七)認定のとおり、原告哲夫は、昭和四一年三月三一日に一一〇〇万円、同年九月三〇日に八〇〇万円の定期預金をしている。また、昭和四二年中に一〇〇万円の定期預金をしたこと、昭和四二年または四三年に贈与税三一三万八八〇〇円を納付していること、昭和四六年中に横山企業に対し、九九〇万五五〇〇円の貸付を行つたことは当事者間に争いがない。さらに、前記乙第三〇号証、第六九号証の一によれば、原告哲夫は、第一勧業銀行鶴見支店の同原告名義の普通預金から昭和四四年三月一五日に九八万円を引き出していることが認められ、特段の事情がないかぎり右預金は費消されたものと推認され、かつ、前記乙第六九号証の四によれば、右普通預金の昭和四六年末の残高は二一六万九六五八円であることが認められる。したがつて、同原告は、昭和四一年から昭和四六年までの間に右各金額の合計三六一九万三九五八円を預金その他右のとおりに使用ないし振り分けたことになる。なお、原告横山哲夫本人尋問の結果中には、原告哲夫が昭和四六年中に定期預金を引き出した旨供述する部分があるが、右供述部分は曖昧で信用できず、その他に右定期預金を昭和四六年までに引き出したと認めるに足りる証拠はない。

そうすると、原告哲夫は、昭和四一年から昭和四六年までに前記表の差引額を合計した三一四八万六一二九円を蓄積することができたと考えられるところ、その間に右定期預金、贈与税の納付等に合計三六一九万三九五八円を別に使用ないし振り分けたことになり、これだけで収入を超えることになるから、同原告には係争年分の原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出するだけの資力はなかつたものと考えられる。

(2) 元昭の昭和三九年から昭和四七年までの収支について検討する。

まず、元昭の収入についてみるに、原本の存在及びその成立に争いのない乙第八九号証の一、二によれば、元昭の昭和三九年の所得が一三六万四八八五円(不動産収入が九六万二一三五円、給与収入が四〇万二七五〇円)であることが認められ、また、同人の昭和四〇年から昭和四七年までの不動産収入が別表一三の「〈1〉不動産収入」欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。さらに、前記二2(三)のとおり同人の昭和四一年から昭和四七年までの申告に係る給与収入は、昭和四一年が八九万九六三九円、昭和四二年が一三〇万〇九五〇円、昭和四三年が一五〇万四八一四円、昭和四四年が一七三万〇一〇〇円、昭和四五年が二一〇万三六一八円、昭和四六年が二三一万二七〇〇円、昭和四七年が二九二万〇五六六円であり、昭和四〇年分の給与収入についてはこれを認定すべき証拠がない(乙第九〇号証の一は収入額ではなく所得金額を示すにとどまるので使用できない。)ので、便宜原告主張の六四万八一〇〇円を試算値として採用する。

次に、経費等についてみると、昭和三九年から昭和四七年までの不動産所得の必要経費、生命保険料、社会保険料が別表一三の各該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。申告所得税については、前記乙第八九号証の一、二、第九〇号証の一、第九一、九二号証の各一、二、第九三号証の一、第九四、九五号証の各一、二によれば、昭和三九年が一〇万八二八〇円(源泉徴収税額以外の申告納税額。以下同じ)、昭和四〇年が七〇万六九〇〇円、昭和四一年が二〇万四七三〇円、昭和四二年が二〇万〇九〇〇円、昭和四三年が六四万一四〇〇円、昭和四四年が三八万七〇〇〇円、昭和四五年が二〇万六四〇〇円(但し、前示理由により、別表五(一)〈1〉欄記載の昭和四六年四月一日納付に係る一四万五三〇〇円を申告納税額三五万一七〇〇円から控除した金額)であることが認められ、昭和四六年分及び昭和四七年分は前示理由により除外する。次に、県市民税については、原本の存在及びその成立に争いのない乙第六六号証の一によれば、昭和四一年が二三万五八〇〇円、昭和四二年が八万七四八〇円、昭和四三年が七万四四二〇円、昭和四四年が二五万七一六〇円、昭和四五年が一八万八七三〇円、昭和四六年が二一万六九六〇円、昭和四七年が三三万六一二〇円であること(但し、特別徴収分を含む。)が認められ、昭和三九、四〇年分については、昭和四〇年から昭和四二年までの所得税合計額(一一一万二五三〇円)に対する昭和四一年から昭和四三年までの県市民税合計額(三九万七七〇〇円)に対する割合約三五パーセントを前年の所得税金額に乗じて推定すると、昭和三九年分は二三万五三一九円(原本の存在及びその成立に争いのない乙第八八号証の一によれば、昭和三八年の所得税が六七万二三四〇円と認められるから、これに三五パーセントを乗じた。)、昭和四〇年は三万七八九八円となる。生活費については、その所得金額に応じて総理府統計局の資料によつて算定するに、原本の存在及びその成立に争いのない乙第三八号証によれば、昭和三九年の場合、元昭の年収一三六万四八八五円に対応する年収一二〇万円から一四〇万円未満までの階層グループは世帯人員数四・八九人、月当たり消費支出総額六万六九五九円であると認められるので、独身であつた元昭(同人は昭和四八年に結婚していることは前述のとおりである。)の昭和三九年の年生活費は、一六万四三一六円と試算される(六万六九五九円÷四・八九×一二=一六万四三一六)。同様にして、同人の生活費は、昭和四〇年が二六万四二七五円、昭和四一年が二五万四四九四円、昭和四二年が三九万七五四二円となることが認められる(但し、昭和四〇年以降分については、乙第三八号証の資料中元昭について一層蓋然性の高いと考えられる「七大都市の勤労者世帯」欄の数値によつた。)。昭和四三年ないし昭和四七年分については便宜原告ら主張の別表八(二)の「生活費」欄記載の金額を採用して試算してみる。

以上によると、元昭の収入額から右経費等を控除した金額は、次のとおりとなる。

〈省略〉

ところが、原告らの主張(別表八(三)参照)によれば、元昭は、横山企業に対し、昭和三九年に三〇万円、昭和四〇年に一六〇万円の各出資を行い、また、昭和四〇年に四〇〇万円、昭和四一年に合計六〇〇万円、昭和四六年に一〇〇万円、昭和四七年に五〇万円の各定期預金をし、さらに、昭和四二年に二五一万四一〇〇円の贈与税を支払つているうえ、前記乙第三四号証、第七〇号証の一、二によれば、第一勧業銀行鶴見支店の元昭名義の普通預金口座には、昭和四六年一二月末において八一万三二九四円、昭和四七年一二月末において同額(昭和四六年八月一三日以降の出金・入金はない。)の預金残高が、三菱銀行鶴見支店の元昭名義の普通預金には、昭和四六年末において六一万一二二二円、昭和四七年末において六二万二七三一円(右四六年末残高に利息が加わつたもの)の預金残高があつたことが認められる。そうすると、元昭は、昭和四七年までの右各金額を合計した(預金残高は二重計算しない。)一七三五万〇一二五円(昭和四六年末では一六八三万八六一六円となる。)を右のとおり預金等に使用または振り分けたものと推認することができる。

そうすると、元昭は、昭和三九年から昭和四七年までに前記表の差引額を合計した一八二四万一七八八円を蓄積可能であつたと考えられるところ、その間に合計一七三五万〇一二五円を右定期預金、贈与税等に使用または振り分けているから、同人には係争年分の原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支払える余裕がなかつたというのが相当である。

(3) 原告悦朗の昭和三八年から昭和四七年までの収支について考察する。

まず、原告悦朗の収入についてみるに、昭和三八年から昭和四七年までの不動産収入が別表一四の「〈1〉不動産収入」欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。給与収入は、前記二2認定のとおり就職後の昭和四四年に五三万二八二四円、昭和四五年が九五万七六二四円、昭和四六年六四万円、昭和四七年が一一四万円である。さらに昭和四七年に三〇〇万円の臨時収入があつたことは当事者間に争いがない。したがつて、不動産収入だけであつた昭和三八年から昭和四三年までの収入は別表一四の「〈1〉不動産収入」欄記載のとおりとなり、昭和四四年から昭和四七年まで収入は別表九(一)「経常収入」欄記載(但し、昭和四七年分については同表の「収入合計」欄記載である。)のとおりとなる。

次に、経費等についてみるに、不動産所得の必要経費、生命保険料(但し、昭和三八年分を除く。)、社会保険料が別表一四の各該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがなく、原本の存在及びその成立に争いのない乙第九八号証の一ないし四によれば、昭和三八年の生命保険料が四万三一七〇円であると認められる。所得税は、昭和三八年、昭和四〇年ないし昭和四三年分が別表一四の「所得税」欄記載のとおりであることに争いがなく、また、前記乙第一〇〇、一〇一号証の各一、二、原本の存在及びその成立に争いのない乙第九九号証の一によれば、昭和三九年分が六万二、七〇〇円、昭和四四年が三六万五、四〇〇円(源泉徴収税額を除く申告納税額)、昭和四五年が九万二六〇〇円(但し、申告納税額八〇万一四〇〇円から前示理由により昭和四六年四月一日納付に係る昭和四五年分所得税の一部七〇万八八〇〇円(別表五(一)〈1〉欄参照)を控除した金額)であることが認められる。そして、昭和四六年分、同四七年分については、支出能力判定対象であるため、除外する。県市民税については、原本の存在及びその成立に争いのない乙第六七号証の一によれば、昭和四一年から昭和四六年分までが別表一四の「県市民税」欄記載のとおりであること、昭和四七年分が特別徴収分を含めて二六万二五一〇円であることが認められ、昭和三九、四〇年の分は、昭和四〇年から昭和四二年までの所得税合計金額(一九万〇四五〇円)に対する昭和四一年から昭和四三年までの県市民税合計金額(九万二九五〇円)の割合約四八パーセントを前年の所得税金額に乗じて推定すると、昭和三九年が五万五九八〇円(但し、一〇円未満は切り捨て)、昭和四〇年が三万〇〇九〇円となる。生活費は、原告悦朗が昭和四四年三月二〇日まで大学生であつたことから、原告らが主張する昭和四三年以降の分についてのみ、原告ら主張の金額(別表九(二)の「生活費」欄記載の金額)を経費として控除する。なお、学費については、原告悦朗が負担したものとはしない。

以上により、原告悦朗の収入額から右経費等を控除した金額は、次のとおりとなる。

〈省略〉

ところが、原告らの主張(別表九(三)参照)よれば、原告悦朗は、横山企業に対し、昭和三九年に三〇万円、昭和四〇年に一七〇万円の各出資を行い、また、昭和四一年(被告の主張では昭和四二年である。)に三三万三〇〇〇円の、昭和四二年に五〇三万四三〇〇円の各贈与税を納付し、さらに、昭和四一年に一〇〇〇万円、昭和四七年に五〇万円の各定期預金をしているというのである。そのうえ、原告悦朗は、前記二2(七)認定のとおり、昭和四二年一〇月五日に一〇〇万円の定期預金をしており、また、成立に争いのない乙第七一号証によれば、同原告は大木製薬株式会社(商号変更により株式会社大木となつている。)に対し、賃貸土地の立退料として、昭和四二年三月一三日に二五〇万円、同年四月三〇日に二四一万二一〇〇円を支払つていることが認められる。したがつて、同原告は、昭和三八年から昭和四七年までの間に右各金額の合計二三七七万九四〇〇円を預金その他のとおりに使用ないし振り分けたものと考えられる。

そうすると、原告悦朗は、昭和三八年から昭和四七年までに前記表の差引額を合計した一九六〇万六七五五円を蓄積可能であつたと考えられるのに対し、その間に右出資払込金、定期預金等に合計二三七七万九四〇〇円(昭和四六年末までに二三二七万九一〇〇円となる。)を使用ないし振り分けたことになつているから、係争年分の原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出する資力はなかつたと考えられる。

(4) 原告てるの昭和三八年から昭和四六年までの収支について考察する。

まず、原告てるの収入についてみるに、同原告の昭和三八年から昭和四六年までの収入(不動産収入のみである。)が別表一五の「〈1〉不動産収入」欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

次に、原告てるの経費等についてみるに、不動産所得の必要経費、生命保険料、社会保険料、昭和三八年から昭和四四年までの所得税が別表一五の各該当欄記載のとおりであることは当事者間に争いがない。また、所得税のうち昭和四五年分については、別表五(一)〈1〉の欄記載のとおり昭和四六年四月一日納付の昭和四五年分所得税の一部八八〇〇円が支出能力を判定する対象となるもので、原告ら主張額からこれを除外した額に等しい被告主張の四万一四〇〇円を採用する。昭和四六年分所得税は前示理由により除外する。県市民税は、原本の存在及びその成立に争いのない乙第六八号証の一によれば、昭和四一年から昭和四六年までの各分が別表一五の「県市民税」欄記載のとおりであることが認められ、また、昭和三九、四〇年分については、昭和四〇年から昭和四二年までの所得税合計金額(四万一八三〇円)に対する昭和四一年から昭和四三年までの県市民税合計額(二万五五二〇円)の割合約六一パーセントを前年の所得税額に乗じて算定すると、昭和三九年が九万六二二〇円、昭和四〇年が九〇二〇円となる(但し、一〇円未満を切り捨てる。なお、算定不能の昭和三八年分県市民税は便宜考慮しないことにして同原告に有利に試算する。)。

以上により、原告てるの収入額から右経費等を控除した金額は、次のとおりとなる(これは、昭和四六年分を除き別表一五の「〈1〉不動産収入」、「〈2〉経費」の「計」及び「〈3〉所得」欄記載と同じである。)。

〈省略〉

ところが、原告ら主張(別表一〇(三))によれば、原告てるは、横山企業に対し、昭和三九年に三〇万円、昭和四〇年に一四〇万円の各出資を行い、また、昭和四〇年に五二万四〇八〇円(但し、被告の主張によれば、昭和四一年)、昭和四二年に三九一万一七〇〇円(但し、被告の主張によれば、昭和四三年)の各贈与税を納付し、さらに、昭和四〇年に二〇〇万円の定期預金をしていることになる。

そうすると、原告てるは、昭和三八年から昭和四六年までの間に前記表の差引額を合計した五二九万七三二九円を蓄積可能であつたと考えられるところ、その間に右出資、贈与税等に右のとおり合計八一三万五七八〇円を使用ないし振り分けているから、昭和四六年に原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出する資力がなかつたと考えられる。

(三)  検討したところから明らかなとおり、原告らは、係争年分の原告関連会社に対する出資払込金及び所得税納付金を支出するだけの資力を有していなかつたといわざるを得ない。

(四)  そして、他に四朗から贈与があつたとの前記3の認定事実を妨げるに足りる証拠はない。

三  以上の次第であるから、昭和四六年中において、原告哲夫は四朗から一一九四万八五五〇円、元昭は五〇五万一五五〇円、原告悦朗は六五五万八六五〇円、原告てるは三五三万四〇五〇円の各贈与(別表六(一)参照)を受け、また昭和四七年中において、元昭は四朗から九六四万一三〇〇円、原告悦朗は八三五万七九〇〇円の各贈与(別表六(二)参照)を受けたというべきところ、本件贈与税の各課税処分は、いずれも右各贈与金額の範囲内においてなされたもの(別表一参照)であるから、右処分に原告ら主張の贈与金額を過大認定した違法はない。

また、無申告加算税賦課決定処分についてみるに、原告らに対してなされた本件贈与税の各課税処分には右のとおり原告ら主張の贈与額過大認定の違法はなく、また、原告らが、贈与税の申告を期限内に行わず、かつ、行わなかつたことにつき前記改正前の国税通則法六六条一項但書所定の正当な理由を認める証拠がない。したがつて、被告が同条項に基づいてした無申告加算税賦課決定における税額は、右説示の贈与税額に基づいて算出される無申告加算税額の範囲内であるから、右賦課決定にも過大認定の違法はない。

四  よつて、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 川上正俊 裁判官 西田育代司 裁判官岡光民雄は転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官 川上正俊)

別表一 課税の経緯

(一) 昭和46年分

(1) 原告哲夫

〈省略〉

(2) 元昭

〈省略〉

(3) 原告悦朗

〈省略〉

(4) 原告てる

〈省略〉

(二) 昭和47年分

(1) 元昭

〈省略〉

(決定欄の、累積課税価格は9,290,043円、累積税額は3,894,500円である。)

(2) 原告悦朗

〈省略〉

(決定欄の、累積課税価格は9,148,701円、累積税額は3,816,400円である。)

別表二 出資一覧

〈省略〉

別表三 出資金の入金状況

〈省略〉

別表四 出資金の支払状況(被告主張)

〈省略〉

別表五

(一) 昭和46年分所得税納付一覧

〈省略〉

(二) 昭和47年分所得税納付一覧

〈省略〉

別表六 贈与税の課税価格(被告主張)

(一) 昭和46年分

〈省略〉

(二) 昭和47年分

〈省略〉

別表七

(一) 原告哲夫の収支(原告主張)

〈省略〉

(昭和41年の収入中、17,619,779は、臨時収入、同年のその余の収入及び他の年の収入は全て経常収入、表中「企業」は「横山企業を、「商事」は「横山商事」を、「殖産」は「横山殖産」を表す。)

(二) 原告哲夫の前表中「経費計」の内訳

〈省略〉

別表七

(三) 原告哲夫の収支(原告主張)

〈経常収支表〉

〈省略〉

(昭和39年の雑所得中149,166円は火災保険金)

〈臨時支出表〉

〈省略〉

別表八

(一) 元昭の収支(原告主張)

〈省略〉

(二) 原告元昭の経費内訳(原告主張)

〈省略〉

別表八

(三) 元昭の収支(原告主張)

〈経常収支〉

〈省略〉

〈臨時支出表〉

〈省略〉

別表九

(一) 原告悦朗の収支(原告主張)

〈省略〉

(二) 原告悦朗の前表中「経費計」の内訳

〈省略〉

別表九

(三) 原告悦朗の収支(原告主張)

〈省略〉

別表一〇

(一) 原告てるの収支(原告主張)

〈省略〉

(二) 原告てるの前表中「経費計」の内訳(原告主張)

〈省略〉

別表一〇

(三) 原告てるの収支(原告主張)

〈省略〉

別表一一

(一) 原告四朗の収入(被告主張)

〈省略〉

別表一一

(二) 原告四郎の不動産譲渡明細(被告主張)

〈省略〉

別表一二 原告哲夫の収支(被告主張)

〈省略〉

(表中「企業」は「横山企業」を、「商事」は「横山商事」を、「預金」は「普通預金」をそれぞれ示す。)

別表一三 元昭の収支(被告主張)

〈省略〉

(表中「企業」は「横山企業」を、「商事」は「横山商事」を、「殖産」は「横山殖産」をそれぞれ表す。)

別表一四 原告悦朗の収支(被告主張)

〈省略〉

別表一五 原告てるの収支(被告主張)

〈省略〉

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